2011年10月17日月曜日

Daniel Clive "Dan" Wheldon (22 June 1978 – 16 October 2011



IRL最終戦ラスベガスで今年のインディ500のウィナーである
ダン・ウェルドンが亡くなった。
最後尾からスタートし、そのままクラッシュに巻き込まれ、
ロールバーが破損された事による頭部への損傷による即死との事。

確かIRLでの死亡事故は2006年の開幕戦の
練習走行のポール・ダナ以降起きていないので
5年振りの死亡事故と言う事に。

ウェルドンは今年はレギュラーシートが獲得できず、
2012年に向けた安全性を大幅に向上させたシャシーの開発ドライバーが
主な仕事だった筈。そんな中スポット参戦枠で出場した
インディ500では最終ラップ、最終ターンでの大逆転劇で優勝してしまったり。

IRL自体はさほど興味のあるカテゴリとして捉えていなかったので
毎戦のリザルトを追いかける程度でしかウォッチしていませんでしたが、
さすがに今回の死亡事故は色んなメディアでも大きく取り上げられていて、
モータスポーツでの死亡事故の持つインパクトの大きさを改めて考えざるを得ず。

ちなみにレースは赤旗により中止。
5周の追悼ラップが特別に行われて終了となり、
チャンピオンはダリオフランキッティが獲得しました。

最終戦での死亡事故というとどうしても思い出してしまうのが、
1999年のCARTでのグレッグムーアのこの事故。

この時は中断の後最後までレースが続けられてましたっけ。

先週鈴鹿で華やかな側面を見た後、
今週は真逆の部分を目の当たりに。
モータスポーツはその両面がきわどいバランスで成り立っているからこそ
魅力なのかもしれませんが、やはり命を落としてしまうということは悲しい事です。

軽々しくRIPなんて書くつもりはありませんが、
彼の死と引き換えに、彼が開発したシャシーで素晴らしいバトルが
数多く繰り広げられる事を祈りたいと思います。

2011年10月11日火曜日

夢か幻か

※All photos are from Kentalog

2011 FORMULA1 JAPAN GRAND PRIX SUZUKA 07-08-09 OCT

Marlboroさんの好意(厚意?)によって、
2011年F1日本グランプリのツアーに参加しました。
F1は3歳から見始めて今年で通算25年目という事で、
最早ライフワークと化している状態。
そんな中、こんなツアーに参加できてしまってもう感無量どころじゃなかった。

各日程の詳しい説明はこちらのブログに譲るとして、
というよりこのエントリーが完全に全てを代弁しています、
ホント、クリスチャンホーナーのシートに座って
彼のように貧乏ゆすりができたときは死んでも良いと真面目に思ったり。
2011 FORMULA1 JAPAN GRAND PRIX SUZUKA 07-08-09 OCT

※貧乏ゆすりはこの動画の2:30過ぎに

それからロブスメドレーとこんな感じで2ショット。
2011 FORMULA1 JAPAN GRAND PRIX SUZUKA 07-08-09 OCT
※ロブスメドレーと言えばこのチームラジオ

この直後、アロンソのエンジニアのアンドレアステラが通りがかったけど
これは写真が撮れず。

更には友人Chackの計らいにより、なんと山本左近のガイドによる
ヴァージンレーシングピット裏ツアーまで体験。もう何がなんだか。

惜しむらくは、長年愛用していたデジカメが
遂にレンズ部分に取り返しのつかないゴミが入った事によって
最早見るに耐えないレベルの写真ばかりになってしまった事。
FlickrのアカウントもProを更新してないし、なんだかなあというところなんですが
とりあえず次のデジカメを買うまではiPhoneで我慢かなというところ。

レースに関しては、ベッテルの2連覇があっけなく決まってしまった訳なんですが
個人的にはここからの4戦+来期が楽しみなところ。
F1は1年単位で終わるスポーツじゃなくて、毎年の積み重ねが大事ですからね。
トップチームは来期以降の開発という位置づけでレースをすると思いますが
ここからの4戦で来期の勢力が少しだけ垣間見えそうな気も。
特に気になるのはこの数戦明らかに強さを増したバトン。
それからようやく調子を上げてきたシューマッハ。
これ以上ベッテルが調子に乗らないように頑張ってもらいたいところ。

とりあえず書きたい事は沢山あるし、しかし頭がまとまらないし、
またあの2日間に戻りたいし、未だ現実に戻っている感もないです。

衝撃が大きい体験をした後に陥りがちな空虚な感じ、継続中。





2011年10月6日木曜日


色々な広告やってるけど、
多分一番見てるのはこれだと思う。

知らず知らずのうちに身の回りの製品が
appleに囲まれてたなあ。
こうやってたたいているキーボードも彼が作り出したプロダクトだし。

そう考えると彼が亡くなったとしても
彼の哲学は常に自分の身の回りにあるから、
なんというか、騒ぎ立てる程の悲しさも無い様な気がする。
とは言っても、勿論悲しいけどね。

夏にサンフランシスコに行った時、
アップルの本社を訪れた日は、奇しくも彼がCEOを退いた次の日。
朝、レンタカーを借りる為にユニオンスクエアのアップルストアの前を歩いていた時、
アップルストアの中から何かの拍手が聞こえて来て、
何事だろうと立ち止まった事を思い出しました。
そういうタイミングであの場所を訪れる事ができたのも何かの縁だったのかなと、
まあ、こじつけに近い気持ちで今朝からの一連の流れを眺めていました。

この後どうなるんだろうなあ、あの会社。