2014年2月10日月曜日

RUSH



常日頃からF1ファンを公言していて、
この映画を見に行かないのは嘘だろうと言う事で、見に行ってきました。

あらすじはオフィシャルに詳しいので割愛しますが、
(というより、1976年のF1シーズンをトレースすればだいたいわかりますし、
ラウダとハントの友情もどこまでが本当なのかあんまり分かりませんので)
この映画で気になったポイントだけ記載します。
基本的に物語の本筋には影響しないものなのですが、
思いっきりネタバレしています。ラストシーンについても書いています。

■ヘスケスの生い立ちとハーベイポスルスウェイトについて
僕の勉強不足なのかもしれませんが、知っている史実と
少しだけ異なっていました。Wiki:ヘスケスレーシング
F1にステップアップして行った背景よりも、
ハーベイポスルスウェイトがF2時代からヘスケスに帯同していた様な
描写があったんですが、多分これは間違いで、ハーベイ博士は
マーチ→ヘスケスへヘッドハントだったような。だから加入はF1からだと思います。
それから、75年シーズン終了後に撤退した様な描写がされていましたが、
ヘスケスはそこから77年まで参戦しています。
ちなみに、ハーベイポスルスウェイトは、
現代のF1の空力哲学の基本であるハイノーズを
最初に採用した名車ティレル019のデザイナーでもあります。
この車には日本人初のF1ドライバー中嶋悟が乗っていました。

■ラウダのBRM加入の描写
これは、偶然というか、ラウダを語る上では必ず出て来るエピソードなのですが、
持参金を持ち込んで契約したドライバーの走りがラウダでした。
今のF1は持参金無しではほぼシートを獲得する事は不可能です。
そういう現状を思い浮かべながらあのシーンを見ていると
何か感慨深いものがありました。

■フランソワセベールの事故について
物語の中盤、ワトキンスグレンでの死亡事故が描かれています。
これはフランソワ・セベールの死亡事故で、F1史上最も無惨な死亡事故と
呼ばれる事もあります。画像なども検索すれば出て来ると思いますが、
あまりオススメはできません。Wiki:フランソワ・セベール
当時のF1の危険性を訴える為に入れた描写かと思いますが、
思いのほか思いっきり出ていたのはちょっとビックリしました。

※尚、同じ年にはロジャーウィリアムソンというドライバーが
オランダでの事故により亡くなっています。こちらは映像も残っています。
よってストーリー中で語られている毎年2人が亡くなっているという
数字は、一応これで証明されている形になります。

■ラウダの事故描写について
事故時のシーンでは、マシンの故障(リアサスのトラブル)が
示唆されていましたが、実際にはラウダのドライブミスというのが
一般的な結論になっています。

■ラウダの復帰後について
モンツァで復帰後の会見で、代役にロイテマンが加入した事で
眉を潜めるシーンがありますが、これはチームメイトのクレイ・レガッツォーニが
このあおりを受け、解雇されている事に対して怒りを表明しているものです。
会見時に隣にいたのは恐らく若き日のルカ・モンテヅェモーロだと思いますが
劇中ではそこまで紹介をされていませんでしたね。
ちなみに、このロイテマンの加入、レガッツォーニの解雇を指揮したのは
後にスーパーアグリF1チームでマネージングティレクターとして
活躍したダニエル・オーテッドという人物です。

■ラストシーンについて
最後はボローニャの空港でハントとラウダが再会を誓って終わり(その後にも
史実映像が流れますが、劇中ラストという意味ではココがラスト)、
ラウダは既に翌77年に向けた活動を始めている事が暗示されていますが、
実はラウダは富士でリタイヤを選択した事でエンツォフェラーリと仲違いをしており、
翌年のテストプログラムへの合流もギリギリまで遅らされていたという話があります。

この年代、あんまり詳しくないので
本当に詳しい人が見たらまだまだ沢山色んな突っ込み所を出しそうですが、
とりあえずこのあたりは気づいた所という事で。

尚、ラウダとマルレーネは1991年に離婚し、
ラウダは自社の30歳年下の女性と再婚しております。