2010年7月14日水曜日

the reason

さあ、何と書いていいやら。
そもそも書くべきなのかな。

ココは特に何というわけでもなく
単に自分自身の出来事を忘れないために書き記す場所として
使っていて、見たきゃお好きにどうぞという感じで
ダラダラと書き綴っているだけの場所だからいいか。
だからって何でもあけすけに書く訳ではないけど。

いずれにしても何にしても、6月からこの数週間、
久しぶりに自分の弱さ、愚かさ、浅はかさと
ネガティブな感情を吐き出し尽くすぐらい地の底を這っていました。
今まで保っていた危うい均衡が一気に堰を切った様に崩れたというか。

そうなってしまう事は薄々は感づいていたし、
その兆候もあったけど、結局はそれを止める手立ても無く
ただただ崩れ行く様だけどぼんやり眺め、
気づいた時にはもうどうしようもないぐらい取り返しのつかない場所にいました。

日頃から真摯に向き合っているつもりでも、
それはあくまでつもりでしかなかったし、
結局は大事にならないと真摯になれない自分に気づきました。
そして、語り尽くされた古くさい言葉ではあるけど
失ってみて初めて分かる大事さというものに気づかされました。

気づき、呆然とした後しばらくは、本当に真摯にまず自分自身と対峙し、
自分自身を見直し、責め、先の光を見いだそうとしました。
1つの事に対して本当にあれだけ何度も何度も
色んな角度から考えた事はもしかしたら初めてだったかもしれません。
また、自分自身をあれだけ見直す事ができた事も初めてだったかもしれません。
日頃から考える事はとても大事と言うけど、
この時ばかりはその事を身を以て痛感しました。

そういう意味ではこれだけ深く考えるきっかけを与えてもらえた事は
とてもありがたいし、貴重な経験でした。
でも、それだけ深く考える事ができたからこそ、やっぱりそれが実って欲しいという
自分勝手な思いもあり、今目の前にある現実に目を背けたくなる気持ちもやはりあり。

でも、そうやって考え抜いたことが重要なのではなくて、
この現実を今度はいかに前向きに変えて行く事ができるかが重要なのです。
言葉ではなく、態度、行動、心理、全ての根本的部分において。
それら全てを改めることができたとしても、
その先にあるゴールが自分の思い描くものではなかった時、、
自分はそのゴールをを受け入れる覚悟を持つ事ができるのか。
多分、これから先自分に試されるのはその相反する2つの選択肢に対して
如何にしてバランスを取る事ができるかかなと。

いくら他に吐き出せる場所ができたとはいっても
やはり苦しいものは苦しいし、それ自体から目を逸らす事はできないと思います。
今その苦しさと対峙し続ける事が、その先の強さに結びつくと思うから。
それに、他を作り出すことは本質的な解決にはなっていないから。

そして、今のこの現実を受け止めて、
一つ一つ着実に絡まった糸を解く様に前へ着実に進んで行く事ができるか。
そしてそれをいかに自然の流れに任せながらできるか。
耐える事、信念を強く持ち続ける事が求められているんだと思います。

きっとここで完結させた方が楽だと思うし、
その方がもしかしたらポジティブな方向に進んで行くのかもしれない。
ただ一時の感傷と無理やり自分自身を納得させることで
無理やり前に進むこともできなくはない。でも結局それは逃げでしかない。
であれば、自分が納得できるまで、やりきったと思えるまでやってみようと思う。
ただ、頑張りすぎてもいけないし、焦りすぎてもいけないと思うから
じっくり、ゆっくり腰を据えて取り組みたいなと思います。

先を見て動くことも大事だけど、
もっと大事なのは目の前の1つ1つの物事に対して
しっかりと結果を急ぐことなく向き合っていくことができるか。
今はそういう意味で成長するために1つ大きな山を越える時期なのかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿