2011年1月29日土曜日

どうやら、とんだお門違いな誤解を受けているらしい。
めんどくさいなあと思う気持ちもありつつ、
誤解を受けるだけの理由もやはりあるんだろうなあと、反省もしつつ。
とはいえ、やっぱりめんどくさいなあなんて気持ちが先に来る。
これで誤解を解くのもなんだかとも思うし、
そもそもその誤解自体が誤解だったらどうしようとも思うし。
と、まあ、私も見かけによらず結構色々考え込んでしまう方なのです。

で、そういう時というか、そもそも最近色々と余裕がなくなっていて、
これについて忘れていたので、戒めも込めて貼ってみます。
茂木健一郎がいつも朝にツイートする連続ツイートの中で、
一番良かったもの。常に忘れない様にしたいと思ったマインドというか。

連続ツイート 「離」

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

離(1)離れなければ新しい局面に行けないことがある。今朝は「離」について考えてみようと思う。

離(2)行き詰まったときは、世界全体が覆われてしまう。どうしてもこれを解決しなければと思い詰めるが、そんな時は離れてみると案外大したことではない。「他のところへ」という決断を迅速にすることが必要である。

離(3)現在の日中関係のように、同じ問題が延々と蒸し返されることもある。そんな時に必要なのは「離」。離れて、まったく別の角度から眺めてみる。そのようにしてこそ、生命がいきいきと動き出す。

離(4)卒業後何年経っても、いつまでも自分や他人の学歴についてくどくどと言う人がいる。そんな人は、「離」の精神に欠けている。生命の自由闊達さが失われているのだ。

離(5)旅先で、立ち去る時にどうしてもさびしくなってしまうものだが、離れてしまえば、案外次の展開がある。離れることは、つまり、何か新しいものが入ってくる「空間」を用意するということなのだ。

離(6)何もその中に入っていないからっぽのスペースを用意すること。人生の秘儀は実にここにある。空間がないから、若さを失う。雑草があっという間に埋めてしまうように、生命が踊っていれば空隙は必ず充実する。

離(7)執拗にある人を攻撃したり、批判したりするのはその人を離れていないからである。武道で言えば「居付いている」状態。離れることで、本当にその人を乗り越えることができる。

離(8)中国も、日本も、お互いを批判しあっている間は「離」ができていない。目を外してみれば、広大な世界がそこにあるよ。

離(9)クマのお母さんは、子クマを親離れさせるとき、大好物のいちごを夢中になって食べているうちにいなくなってしまうのだそうだ。白神山地の工藤さんに聞いた。「いちごっぱなれ」と言う。「離」のために、おいしいイチゴが見つかるといいね。

以上、「離」に関する連続ツイートでした。

2010年10月18日、http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

と、こういう細かい事でぐずぐず考えても仕方ないし、
そもそもその誤解で反応したということは、
その相手がそういう負い目を持っていてこそという事もあると思うので。
いずれその誤解が解けるのか、そもそもそれが誤解だったのかという事が
分かる日が来るでしょうね。か、それこそ「離」の様に考えなくなって来るか。

まあ、いずれにしてもなるべくこういう誤解を招いて嫌な思いをしたりさせたりは
やっぱり嫌ですね。自らの反省の意味も込めて敢えて書いてみました。

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